僕がバーをオープンした本当の理由

今から約一年半前に白金台に出したバー KEIZ。


今まで、僕がバーを出した理由は知人以外には特に語ってきませんでした。




だけども、父が他界した今、





バーを出した理由をここに書いておこうと思う。






なぜなら、今この瞬間に僕が感じてる僕たちの父子関係だったから。







父、石坂敬一は音楽業界でも有名な酒飲みでした。






その飲みっぷりは酒仙といってもいいほどで、






量もさることながら飲みかたが




最高にロックンロールだったと思います。







60代に入ってからは強い蒸留酒が好きで、




よくジンやウォッカをストレートで飲んでました。





ジャケットの内側から、



よく映画で見るような平べったい水筒みたいな入れ物に酒を入れて持ち歩き、




いつでもどこでもクイっと飲んでしまう。






そんな人なかなかいないですよね?笑






親父はそんな感じだったんです。







現役で働いている時は、




仕事が終わるとよくホテルのバーで飲んでいたみたいです。






日中は働いて、夜はバーで政治をやる。






そんな生活だったんだと思います。







現役の間はそんなダンディズム溢れる生活を実践していましたが、






仕事の第一線を退いてからは、





少しずつ脚の調子が悪くなり、







また同時に、





人生の面白みを見失いつつあるように、



僕には見えました。









仕事に自らの自らの戦場を見つけ、





そこに生きがいを見出してきた人間には、






隠居生活は正直つまらないんだと思います。






張り合いを生きがいにしていた人間から



張り合いがなくなると、寂しそうで仕方がない。





そんな親父の姿が僕にはとても不憫でした。






一言で言うと、「おい、親父、カッコつけてくれよ!」




と言う感じです。









そこで僕がたどり着いた一つの考えが、







「親父といえば、酒と音楽。だから親父らしい音楽を集めたバーを出そう。」






と言うものでした。







石坂敬一の引退後のエピソードとしてはいいんじゃないかな?と言うアイディアでした。








親父は反対してましたが、




押し切る形で強引にオープンさせた、と言うのがバーを出した経緯です。






バーの名前は親父の愛称「KEI」を文字って、Keizにしました。








何らかの形で親父っぽい感じが良いかなと思ったんだけど、





親父の名前そのまんまってのは




いかにも仲の良い親子って感じで、




僕的には無理で笑。






Keizなら、キーズと読んで、響きが音楽っぽいかな?と思い。






だからバーの名前はキーズにしました。








僕は飲食店をやったことがないので、







物件の契約、内装の手配、酒屋の契約、バーテンの雇用。。。




全てが手探りでした。




けど、




「やると言ったらやる!」




という僕のベンチャースピリットと、




「やるからにはダサい店にはできない」





という格好つけ精神で、





試行錯誤を繰り返して、昨年の夏くらいにはやっと形が整ってきました。





当初は乗り気ではなかった親父は店の一番の常連客になりました。







昔の仕事仲間や後輩などを連れてきてはウォッカソーダをよく飲んでました。







そんな店で打ち合わせされて始まった親父のラジオ番組がKei's Barでした。

















おい親父、




最初バーやると言ったら嫌がってたのに、



自分のラジオ番組のタイトル、



完全に店にインスピレーション受けてるじゃん!笑






とツッコミが思わず入りますね。







この話をブログに書くのは初めてですが、これが僕がバーを出した理由です。









親父には最後まで粋でいて欲しかったし、






格好つけられる場所が必要だと思った。








面と向かって仲良くする父子関係ではなかったから、我々はこんな感じでした。







言ってしまえば、一つの愛と尊敬の形がバーだったんです。






そんなバーだから、これからも絶対に存続させるという気持ちでいます。





たまに親父の面影を感じにきてくれる人もいると思うしね。




どんどんパワーアップして良いバーにしようと思うのでよろしくお願いします。