イギリス時代 ①

かつて僕が18ヶ月間を過ごしたイギリスでの出来事について書こうと思います。



僕は日本の大学を卒業した後、イギリスのランカスター大学の大学院に進学しました。

ランカスターは、イギリス北部の小さな街で、湖水地方というピーターラビットの故郷の近くに位置します。

かつては炭鉱で栄えた街と言われています。

が、はっきり言って今は特に何もない小さな街です。


日本の大学で国際政治に開眼した僕は、もう少し勉強したいなと言う欲求と留学への憧れから、海外の大学を調べて、自分の興味のあるフィールドに強い大学を探していたんですね。

そして辿り着いたのがイギリスのランカスターでした。


しかし、大学院の授業が始まるのは10月からで、日本の大学を卒業してから半年ほど時間があったので、南部のブライトンという街にステイすることにしました。

ブライトンという街は、ロンドンから電車で約一時間弱くらいだったかな?

ロンドンにも近い海辺の街で、日本でいう湘南みたいな感じだと僕は解釈していました。

海が好きだったし、あまり聞いたことのない街への興味もあり、ブライトンにステイする事にしたんです。


渡英してからのイギリス時代は、濃密で非常に噛み応えのある時間でした。

今の人生観に及ぼした影響計り知れず、という感じです。


そして、笑い話の宝庫でした。笑


今日から不定期でイギリス時代を時系列で振り返る連載をしようと思います。


今日は出国の日についてです。




確か出国は日曜日だったかと思いますが、かなりの早朝だったんですね。

節約するために、マレーシア経由の格安航空券での渡英だったので、日曜日のかなり早い時間に成田に行く必要があったんですね。



しかし、出国の数日前に、親友3人から連絡があり、出国前夜に壮行会をやってくれるという話になりました。



正直、前夜より前々夜が良いなぁ、と思っていたんですが、


最後の瞬間まで一緒にいたいから前夜に壮行会をやろう



という友の熱い気持ちに押し切られ、笑


前夜に壮行会をやってもらうことになりました。




3人の内1人は飲まないで運転して成田に送っていくよ、と言ってくれてたので、お言葉に甘えることに。




こうして楽しい壮行会は始まりました。




しかし、計らずとも、
出国前夜の壮行会は、実はかなりの神経戦になるということを、この後知ることになります。



基本的に僕はあまり飲みたくありません。
何故なら、友の車にはパンパンに膨れ上がったスーツケース、ポーチにはビザが付いたパスポート。

このタイミングでの忘れ物、落とし物はシャレにならないからです。



しかし、一方、友は飲みたいのです。
最後の夜という感情のたかぶり、暫く会えない寂しさを紛らわせたい気持ち。

そして、土曜の夜。

飲む理由は十二分にあります。


途中からは、飲ませたい残留組と絶対に酔えない出国組の神経戦となります。


1人は確かにソフトドリンクで自制していますが、問題は残りの2人です。

見る見るうちにピッチは上がり、、、我々は深夜のカラオケに場所を移しました。



あぁ、暫くカラオケも行けないな、と思うと僕も楽しくなり、いつも以上に歌いました。



そう、ちなみに、壮行会では出国組にマイクの優先権がある、そんなルールがこの夜にはありました。



宴も佳境に入ると、ケツメイシのトモダチがエンドレスで流れ続け、何とも言えないセンチメンタルな気持ちに。


さぁ、そろそろマイクを置いて行かないと、、、


そんな頃合いだったので、我々は身支度を整えはじめました。


出る前にトイレ行っとこう、そう思った僕はトイレに行きました。



うん、自重してたからあんまり酔ってない、顔洗って行こう。

寂しさを振り払うように顔を水で洗い、部屋に戻った僕は驚愕しました。





残留飲酒組の2人が完全に寝てるではないか。



ドライバー役が起こしてるものの効果なし。



暫くトライしたものの、段々と時間の無くなってきた僕は、2人を諦め、ドライバーと2人で成田に向かうことに。





安全運転で無事に成田に着いた僕は無事に搭乗し、クアラルンプールへ。




そしてそこで、6時間位、乗継を待ち、それからロンドンへ。


ロンドンから電車でブライトンへ。


ブライトンのホームステイ先に着いたのは、壮行会開始から何時間後だったのか、今となっては記憶も曖昧ですが、かなーり長いタフな旅路でした。




ホームステイ先に着いたのは午前11時位でした。



着くなりホストマザーに、今寝たら時差ボケが抜けないから夜まで寝てはいけないと言われ、街を散策する散歩に行くハメになりました。



夕方6時に夕飯を食べ、シャワーを浴びてやっと寝れました。


ちなみに僕は飛行機で寝れないので、途中のクアラルンプールの空港のベンチで寝て以来の睡眠でした。



体力が無ければ出来ない超ハードな旅路で、僕のイギリス時代は始まりました。