2025.09.25 07:00第二章:失われた午後のなかで|1 scent for dreams午後の光は、いつも斜めだった。幼い類の世界では、光は正面から差し込んでくるものではなく、畳をなぞるように傾き、沈黙の縁を縫っていくものだった。その光のなかに、父がいた。分厚い新聞の陰から顔をのぞかせることもなく、ただ静かに、冷えたコーヒーを啜るだけの人だった。父・葉山征爾。彼は熊谷の旧家の出で、敗戦で全てを失った祖の息子として、失われた誇りを、歯を食いしばって拾い集めてきた人だった。「勝たねば意味がない」そう口癖のように呟く父の言葉には、何かを信じるというよりも、何かを赦さぬ決意が滲んでいた。
2025.09.11 06:54第一章:風は、記憶の扉を叩く|1 scent for dreams風が吹いていた。それは午後三時の静寂を優しく破るようにして、葉山家の窓辺をかすかに鳴らした。鳴ったのは、風ではなく記憶かもしれなかった。あるいはそれは、遠く去っていった人の気配だったのかもしれない。