夢は、ある日突然、光を失う。
だがその失明は、外から見れば気づかれぬほど緩慢で、
まるで夕暮れが夜に溶けていくようだった。
類は、俳優になる夢を捨てた。
それが「夢」だったことにすら、後になって気づくほどに静かに、
その想いは手のひらから零れていった。
演技を愛していた。
だが、業界はそれとは別の顔をしていた。
表現は情熱ではなく、機会に。
才能は輝きではなく、誰かの都合に変換される。
光の中に立つには、
無数の“知らぬ誰か”に、評価されなければならなかった。
「いい役者になるより、いい役をもらえる人になれ」
と、ある演出家は言った。
類には、それが呪いのように聞こえた。
大学では政治学を学んだ。
演じることは、誰かの思考をなぞることでもあったから、
思想や制度を学ぶことに、違和感はなかった。
だが、心のどこかで、
“代わりの人生”をなぞっている感覚があった。
まるで他人の靴を履いているような、
その足元の違和感は、ずっと消えなかった。
周囲は未来を描いていた。
類だけが、未来を“演じて”いた。
「将来はどうするの?」と聞かれたとき、
口先で答える進路に、心はなかった。
だがそれでも、時間は進む。
周囲も進む。
演技のような現実の中で、
類は“ちゃんとした人間”の仮面を剥がせなくなっていた。
卒業とともに、彼はイギリスへ渡った。
兄がかつて暮らした国、そして夢を託した場所。
ランカスターの曇り空は、
日本の四季のような劇的さを欠いていたが、
その代わり、心の濁りにはよく馴染んだ。
英国の大学院で学ぶ政治思想は、
予想よりもずっと抽象的で、
ときに演劇よりもドラマチックだった。
“国家とは何か”
“自由とは何か”
“勝者とは、誰か”
それらの問いは、
かつて兄が父に放った叫びの続きのようでもあった。
ある教授は言った。
「政治とは、希望の配分である」
その言葉に、類はかすかな眩暈を覚えた。
香りもまた、希望の配分だった。
誰かの心の奥に、希望を一滴、落とすための。
演技は捨てた。
だが、何かを伝える手段を求める心は、生きていた。
ある日、ロンドンの小さな映画館で、
かつての日本の自主映画が上映されていた。
出演していたのは、かつて同じ舞台に立った仲間だった。
彼は光を纏っていた。
スクリーンのなかで、生きていた。
類はひとり、席を立てずにいた。
胸の奥に、古い香水瓶を落としたような音がした。
——もしも、あのとき、何かが違っていたなら。
けれどその“もしも”は、
過去ではなく未来へ向けられるべきだと、彼は思った。
夢の残骸は、時に未来への設計図になる。
痛みの輪郭こそが、自分の輪郭を描くのだ。
香りもまた、そうではなかったか?
見えず、形を持たぬものが、確かに存在する。
それは、人の感情も、人生も、同じではなかったか。
帰国した類は、無言のまま就職活動を始めた。
芸能事務所でもなく、政策研究所でもなく、
選んだのは——香水会社だった。
誰にも理由は話さなかった。
けれど、彼の中ではすでに確かな“接点”があった。
兄から受け取った香り、
祖母が遺した瓶、
そして、自らの“表現の欲望”。
類はようやく理解し始めていた。
演じることも、語ることも、香ることも、
みな、心のどこかに触れるための手段にすぎないのだと。
だが、それを“仕事”にするということは——
想像以上に、過酷な世界への入り口でもあった。
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